卜然山房

読書、占いと文芸創作、時事、その他。思考を整理するためのノート。

 芸能界復帰を発表して即、撤回し引退を宣言した。去年タピオカ騒動なんてのもあったが、そうとうに気の短い女性であることは八字を参照するまでもなく明らかだ。ちょっと興味を持ったので命式を見てみた。ちなみに生まれた時間は分からない。

 木下優樹菜
 西暦1987年12月4日(旧暦10月14日)


  時 日 月 年
  ○ 丁 辛 丁
  ○ 亥 亥 卯

  68 58 48 38 28 18 08 98 88 年
  庚 己 戊 丁 丙 乙 甲 癸 壬 干
  申 未 午 巳 辰 卯 寅 丑 子 支
  81 71 61 51 41 31 21 11 01 歳


 極度の身弱でキレやすい。しかし弱い人間が虚勢をはっているという感じではなく、ある種の凄みを持っている人だと思う。美人であったり友人・姉妹を大切にするところがあったりキャラクターで食う芸能人であったりと、恐らく身弱だろうと思うが、身旺っぽい元気があるところを見ると、羊刃でも持っているのだろう。時柱は丁未ではないか。ただこの場合は木局が成り、おばかキャラには少々そぐわない感じにもなる。案外頭はいい人なのかもしれない。あるいは木行が怒気として出ているのかも。水を抑えるべき土が弱いから怒気を発して我に燃料を供給しているのかもしれない。ちょっと分からない。ともかく身弱で比肩丁が用だろう。

 2001年辛巳にモーニング娘。のオーディションを受けて最終選考まで残ったが惜しくも落選。その理由は協調性の欠如、らしい。で2006年丙戌に渋谷でスカウトされた。癸丑運の後半あたりからツキ始めたということだろう。

 で現在は甲寅運、乙卯運だが、もし丁が用なら基本、好調の筈である。にもかかわらず、2019年己亥にあのタピオカ騒動を起こした(同年、フジモンとも離婚)。もしまだ甲寅運なら天地が合で、いわゆる晦気になる。紳助さんが問題を起こして引退を余儀なくされたのもたしか晦気だった気がする。ともかくそういう運勢だ。加えて亥は命式の日月の亥と自刑を成す。まえから言っているが、自刑は二つまでなら大したさわりはないが、三つ以上になるとしっかり効いてくる。タピオカ騒動などはまさに事象と合っていると言えるのではないか。

 今年は庚子で、歳運だけを見れば必ずしも良くはないのだが、大運は甲寅、乙卯で、大きな流れとしては好調の筈である。だた、水を抑えるための土が(命式にあればだが)剋されることになるので、痛し痒しの面もある。この人の生来の気性からすれば、食傷を闘争的に用いて官殺を抑えてバランスを取りたいのだろうが、それは力量的に無理である。現にタピオカ屋にキレてボロ負けしてしまった。新しい適応の形を模索しなければならない。例えば、ヘキサゴンで珍回頭を連発したような、親しみやすいキャラを通すのもいいだろうし(本人は嫌かもしれないが)、美的なものを出したり、家庭性などをアピールする方向へ舵を切ってもいいと思う。ともかく、我を抑えてそういうキャラクターでいけば十分運勢を味方に付けられる筈である。

 気風のいいヤンキー姐さんとして生きるのは、習慣としてやりやすいのだろうし、本人の気性にも合っているのだろうが、変えたほうがいい。また命式的にも(時柱は分からんけれど)変われる可能性は大いにあると思う。が、きっとこの人は変わらないのだろう。本を読めといっても読まんだろうし。それゆえの自刑、なのかもしれない。あるいは時柱は辛亥かな。ま、晩年はいいと思います。

 増刪卜易の野鶴老人は、もしあなたが占い師で日にたくさんの卦を立てる/見るならば、分かりにくいものが多々出るので、断易の理に精通して慎重に読まなければならないが、たんに自分のことを占うのであれば、はっきりと出るものである、みたいなことを言っている。これはまさにその通りで、本番の占いでは割とわかりやすい卦が出て、判断もあまり間違わないものだが、練習の(というか、本番以外の)占いでは非常に紛らわしい卦が出て、卦読みもミスしやすいものだ。ではこういう卦は不応であるのか、読めないのかというと、そんなことはない。ただし、高度な卦読みの力が必要になる。

 本番の占いでは、周易では爻辞や六十四卦の大意をとる程度で、断易では用神にフォーカスするシンプルな占い方で十分間に合うが、練習占では到底捌ききれない。だから「わかりにくい卦」を読むには、周易では象占などの象数的な占法に、断易では増刪卜易のような全体を見る占い方に詳しくならないといけない。

 しかしこれがなかなか難しい。いずれにしても、的中率を上げるには、①占機の捉え方を研究してなるべく分かりやすい卦が立つように工夫する。②卦読みの腕を磨いて少々分かりにくい卦でも捌けるように工夫する。この二点において不断の努力が必要になる。

   ***

 一占一占に十分な間隔をあけて、純粋に興味を持ち、占事に係る状況を一通り把握したうえで、余計なことは考えず、真面目にかつ丁寧に卦を立てれば、おかしな卦は絶対に出ない。嘘だと思うかもしれないが、本当に出ないのである。ただし、それが読みやすい卦であるとは限らない。

 いずれにせよ、卦を応・不応で分けるのは恐らく間違いで、分かりやすい・分かりにくいという軸で分けるべきだと思う。言い換えれば、分かりやすい卦しか相手にしないという人にとっては、占いは決して濫用すべきではないし、当てモノにも使うべきでもない(そういうのは不応=卦が立たない)、ということになるし、分かりにくい卦でも読み切って当てていこうという人にとっては、不応などというものはほとんどない、ということになるのである。

 増刪卜易と卜筮正宗を比較したとき、術としての大まかなアウトラインはほとんど一緒だが、細部では大分異なっている。また周易においても、おなじシステムと易経を共有しているはずなのに、高島流、白蛾流、大岳流、真勢流ではそれぞれかなり違う。もし、占術の判断のルールには唯一の正しいものがあって、それ以外は全て間違いだとすると、非常におかしなことになる。現実には、判断のルールは細かいところまで確定できない、というのが正しいのだと思う。なぜなら、占いはすべて本質的には「象占」だからだ。易神はデジタル信号によってではなく、なにかを象ることで答えを告げようとする。言葉のルールは厳密に規定できても、絵の描き方や解釈法なんてのは規定しようがない。それを苦心して形式化して、占機がしっかり取れているときには分かりやすい形で出るようにしたものが、爻辞占であり、また用神にフォーカスするシンプルな断易なのだと思う。だからこれらの(あまり融通の利かない)占法をとると、少しでも占機が取りにくい状況で占ったりすると、とたんに卦が乱れることになる。

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 従って、断易や周易をシンプルにやっていくつもりの人は、練習占は必ずしも必要ないどころか、混乱の元になるからしないほうがよい、ということになる。本番にのみ使うべきだ(もちろん経験を積むことは必要だろうと思うけれど)。しかし、分かりにくい卦でも読み込んで当てていくつもりの人は、積極的に練習占をやるほかに道はないだろう。

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 まあ、僕は誰になんと言われようとガンガン練習占をやって誤占しまくりますけどね……。

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 それと、誤解があるといけないのでいちおう書いておこうと思うのですが、僕は基礎・基本は非常に重要であると考えています。周易にしても断易にしても、基礎・基本が分かっていなかったら易神がなにを言わんとしているのかも分かりっこありません。八卦の象意とその理由をちゃんと分かっているから八卦を推せる訳です。日本語が分からないと日本人と対話できない、というのと似たような話です。しかし、勉強だけで日本語を学んだのでは、微妙な言い回しや逆説的な言い方は理解できないはずです。そういうのを指して、僕は通変が必要だと言っているわけです。けっして、なんでもアリ、直感と超感覚でゴリゴリ読んで、当たればいいんだよ、という意味で言っているのではないので、どうか誤解なきよう。細部に必要以上にこだわらず(揚げ足をとるような読み方はせず)、大意を読み取っていく訳です。それが僕の今のところの考え方です。

 再占は駄目だという結論を出したのは卜占を本格的に練習・研究するようになったばかりの頃だったから、もうだいぶ前になる。それからたまに試しているが、はっきり言っていい印象はない。未だに「再三瀆。瀆則不告」は卜に共通の重要なセオリーだと思っている。だから増刪卜易に再占の例が出ているのを見たときには、強烈な違和感を覚えたものだった。しかし、あれから増刪卜易の断易観(卜占観)がいくらか分かるようになってきて、状況によっては(占機を壊さず丁寧にやれば)あるいはと思って、試しに天気占で応期を絞り込むために再占をやってみた。読みづらい卦だったが、いちおう応期をひとつふたつに絞り込んで的中させることに成功した。それで気をよくして勝負占でいくつか試してみた。ひとつは判断ミスで、三つ卦を立てて悩んだ末に勝ちとしたところが終盤に追いつかれて引分に終わった。一つは再占したもののかなり微妙な卦ばかりが出て、引分としたところがこれも終盤勝ち越された。三試合目でようやく分かりやすいのがふたつ目に出て勝ちと断じ、大差で勝った。試合の途中からも占ってみたが、これは二つ占って二つとも当たった。もっとも、前半2-0から勝ち切れるか、後半2-2の状態からどうなる、というものだったので、そう当てにくいものではなかった。いずれにしても、めちゃくちゃな卦は不思議と出なかったし、混線もなかった(内容は重複が目立ったが。例えば応爻に申が入るのが続いたり)。分かりにくいなりに結果と応じてはいた。ちなみに他に三試合占って、これらは再占するまでもないと思ったので一発で断を下した。二つは、点差をつけて的中。一つは笑ってしまうくらい裏に出た。思い当たることが幾つかあるので、今後の練習のなかで明らかにしていこうと考えている。

 やってみた感じ、再占は、占機を見極める・捉える力と、卦読みの力さえあれば、充分に可能であると思った。むしろ「恍惚とした」卦が出た場合には再占したほうが道理にかなうというケースも少なからずあるのではないか。ただ、再占には、疑いを明らかにしてくれる効験はあっても、間違いを指摘してくれる機能はないようだ。だから間違った前提のうえに立ってしまえばもうどうしようもない。無意識のうちに先入観や期待、不安に囚われるということがあるので、その点には十分、注意を払う必要があるだろう。それから卦読みの力が不足しているためにわかりやすい卦を求めて再占するというのもダメである。ある程度卦を見て読みを絞り込んで、しかし断定しきれない、というときに再占をすべきだと思う。つまり、増刪卜易の論はまったく正しい。(言うまでもないが、結果が受け入れられないという理由での再占は問題外である。はっきり示されたならそれ以上しつこく問うべきではない。誠実に読んでも分からない、断じきれないときにだけ再占すべきである)

 練習で勝負占をしていると、接戦になりそうなのは分かるがどっちに転ぶか分からない、引き分けになるか最後の最後で決着がつくか読み切れない、ということが多々ある。こういうのに断を下すには、卦ひとつだけではなかなか大変なこともある。再占の技術を身につければ、こういうのを綺麗にさばけるようになるだろうし、なにより実用のうえでかなり強力な武器になってくれるのは間違いない。ちょっと試してみた感じでは、やれないこともなさそうなので、本腰をいれて研究・練習をしてみようかと思っている。

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 でも、よい子はまねしないほうがいいと思います!

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 これはあくまで僕の意見だが、一発目の占いはその都度、ある程度時間をあけてやったほうがいいが(10分では短すぎる。30分あれば割合安定する)、再占は即時でも大丈夫なようだ。

 たまたまネットで見かけた、清朝最後の皇帝溥儀の命式は、丙午、庚寅、壬午、丙午というものだった。極度の身弱で力量的には火の財に従してもおかしくはないが、満州の皇帝として傀儡を務めたことを考えればこれは従していない。旺財に苦しめられるひとの典型、つまり富屋の貧人というやつである。あくまで庚の偏印を頼っている。内格である。このように、従・不従はひとによるところがある。つまり通変である。現代女性の命式を見ていても、社会的には従、私生活は不従、みたいな例がまれにある。命式と事象をつきあわせればそう考えるしかないのである。よって僕は格・用神にも通変があるという説をとる。それにしても午三枚の自刑が強烈。いろいろ大変だったんでしょうねえ。

 金枝篇とはイギリスの社会人類学者フレイザーによる、未開社会の呪術(祭りや神話、迷信の由来などを含む)についての名著である。ぶっちゃけ魔術だの呪いだの言いながら金枝篇もまともに通読してないようなのはただのアレなので相手にしないほうがいい、というくらい重要かつベーシックな書籍である。むろん僕も読ん……いや、読もうと思って岩波版の二巻の途中で休止し、積んでいる。いまのところ。いつか読まなきゃならんとは思っているが、開くと眠くなってしょうがないのである。ただ、だからといって詰まらないものでは決してない。僕の知性と教養がすこしばかり追い付かないだけのことである。

 言い訳はこれくらいにして本題に入ろうと思うが、金枝篇では「類感呪術」と「感染呪術」について論じられている。詳しくはウィキを参照して欲しい。

  ・金枝篇
  ・類感呪術
  ・感染呪術

 フレイザーはあくまで呪術を迷信だと思っているので、そういう論じ方をしているが、呪術に関する理論や一般論としてこれほど整然とした考え方もなかなかないと思う。結局のところ呪術とは丑の刻参りに尽きるのである。起こって欲しいことを象徴的に模倣することで、それを「引き寄せる」わけである。さらにその模倣に、本人に由来するようなものを交える。これがほとんどすべての呪術に共通する「構造」だと考えてよいと思う。

   ***

 六壬や奇門遁甲には呪術的な運用法があるという。風水などは(とくに玄空派は)、理気から住んでいる人の事象を読むことができる。易卦は陰陽師が使う兎歩の元になったという。西洋魔術と西洋占星術のつながりの深さは改めて指摘するまでもない。ルーンにもジオマンシーにもまじない的な技法がある。つまり、占いと呪術は表裏の関係にある。これは疑う余地がない。占いの象は、まさに類感呪術、感染呪術の対象として、これほど相応しいものはない。現在、この方面についての研究がまったく為されていないのは不思議というほかない。理気に基づいた「改善」が験をもたらすなら、易卦を用いた「改善」が験をもたらしても、何ら不思議ではない。

 四柱推命の「ラッキーカラー」的なものはすべてこれである。周易の一般的なアドバイスにしたって義理を踏まえての改善なわけだから、この呪術の範疇にあると見なせないこともない。ただ単に、風水や方位がそれを専門にしてきたというだけのことで、易その他の卜占がこれに対応できないとは限らないのだ。むしろ、呪術などの構造を考えれば験があって当然と言えるのではないだろうか。

 たとえば四柱推命で、人様の命式を見ていて、ここがこうだったらいいのになあ、と思うことが多々ある。こういうとき、忌神の干・支を冲去・合去してくれる干支を象徴するような小物にちょっとした願いをかけて持ち歩いてみるというのも、試す価値は大いにあるのではないか。いや、個人的に、卦や命式にちなんだちょっとしたおまじないをやってみて、大いに験があったということが幾度かあったので、そんなことを思いついたまでである。

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