断易には通変という概念がある。これは実を言うと決定的な概念で、臨機応変と言い換えてもいいが、決して恣意で判断をする訳ではない。直感ともまた別である。断易は非常にシステマチックな占いだと考えられているために、通変という考え方は否定されがちであるが、実際のところほとんどすべての卜占は、通変という概念を非常に重んじている。それどころか、根本に据えてさえいる。周易もタロットも、通変を否定したら成り立たないだろう。占術をおみくじ以上のものたらしめているもの、そして占術をAI任せにできない最大の理由、それが通変である、と言ってよいと思う。

 では、命占はどうか。通変というものを肯定したら術が成り立たないのではないか。枝葉の事象の解釈ならともかく、構造をどう捉えるかの部分で通変をやり出したらいかんのではないか。かつてはそう思っていた。しかしそれが僕の四柱推命にガッツリ蓋をしていた最大の原因だったようだ。命占にも通変というものがある。それは検証をすれば分かる。おなじ命式でもいろいろな現れ方、構造の取り方がある。だからおなじ命式でも大きく異なる人生を送る人がいてもおかしくはないのだ。(そしてこれが様々な流派の並び立つ理由でもある)。そもそも、陰陽五行論/干支は共時性をもって情報を構造的に伝える媒体のようなものであり、自然科学ではない。「疑似・自然科学、代数的思考法」である。これをあくまで自然科学と見なすならば通変は一切否定されざるを得ない。が、通変を否定すれば占術は遅かれ早かれ死ぬ。分かる人には分かると思う。

 これに気づいたお陰で、長年の呪縛から解放された気分である。気付かせてくれた増刪卜易には感謝の念しかない。

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 おそらく人相術もそうなのだろう。通変をまったく否定してテキストの揚げ足をとるような硬直した占い方をしたら当たる訳がない。顔のテカっている人はみんな得意絶頂、墜落間近なのか。たんに脂性であるだけかもしれないじゃないか。鼻の赤い人はみんな昨晩お楽しみだったのか。寒い日には誰だって鼻の頭くらい赤くなる。風邪かもしれない。そこは雰囲気や全体像を見て取捨するべきであろう。いやー占いが楽しくなってきました!