たまたまネットで見かけた、清朝最後の皇帝溥儀の命式は、丙午、庚寅、壬午、丙午というものだった。極度の身弱で力量的には火の財に従してもおかしくはないが、満州の皇帝として傀儡を務めたことを考えればこれは従していない。旺財に苦しめられるひとの典型、つまり富屋の貧人というやつである。あくまで庚の偏印を頼っている。内格である。このように、従・不従はひとによるところがある。つまり通変である。現代女性の命式を見ていても、社会的には従、私生活は不従、みたいな例がまれにある。命式と事象をつきあわせればそう考えるしかないのである。よって僕は格・用神にも通変があるという説をとる。それにしても午三枚の自刑が強烈。いろいろ大変だったんでしょうねえ。