統一教会を擁護する人たちがとにかく持ち出すのが内心の自由だ。その人がどんなことを信仰しようが自由であるというのだ。たしかに、国があの宗教はよい、あの宗教は悪い、と決めつけて優遇したり冷遇したりするのは好ましくない。かつてそういうことをして国が機能不全に陥った、欧州中近世の反省があるし、西側社会が大切にしてきた自由の概念にも反する。
たとえ邪教だろうと真摯に信仰することで何らか学ぶことはあるかもしれない。老境にさしかかって自分の信仰は(一部または全面的に)間違いだったと気づくというのは悲劇かもしれないが一つの人生ではあると思う。こういう自由は人間の成長に必要なものでさえあると思う(オウムの死刑囚にも何らかの気づきや成長があったと僕は思っている)。このことは思想信条に置き換えてもいいだろう。
内心の自由、信仰の自由はとても大切なものだ。それは間違いない。しかし、そもそも論として、統一教会は「信仰」なのか。僕は信仰と呼べる代物ではないと確信している。オレオレ詐欺に近い。まさかオレオレ詐欺を「立派な商行為だ、被害者は納得して支払ったのだから」、などと云って擁護する人はいないだろう。虚偽を前提とした信念(認識)を植え付けて大金を振り込ませているのだから。
統一教会の信仰も「虚偽」である。それは簡単に分かる。まず反共を掲げて熱心に活動してきた団体が他方で労働党一党支配の北朝鮮と繋がっている。宗教活動にはカネが必要だと称して高額献金を正当化してきた団体が、なんと政府に100億円の拠出金を提案できるほど溜め込んでいる。日本はかつて朝鮮半島を植民地支配していたので重い原罪がありその償いのために献金しなければならないと教える団体が、植民地支配は強制で始まったものではなくしかも半島の発展に大いに寄与したと主張する人々が熱心に支持する安倍晋三と濃い繋がりを持っていた。監督省庁である文科省の質問に対してまともに答えなかった教団が、解散命令はおかしいと強気の会見をひらいた数日後、深く反省していると称して100億の拠出を提案してくる。
言ってることとやってることがメチャクチャである。教団は自分たちの主張を信じていないことがわかる。信じていればこれらの言行不一致に対して深い葛藤に陥るはずだがそんな様子は露もない。そもそも成立していない教義にもとづき人様に虚構の信念を植え付けて高額の献金を集めるのは信仰ではない。オレオレ詐欺の類である。
かつてカトリックは免罪符と称する高価なお札を買えば地獄行きを免れると言って信者に多額の寄付をさせていた。真摯な宗教者たちからそれはおかしいという指摘が入り、論争が起こり、プロテスタントが始まり、キリスト教正常化の契機となった。人類はすでにそういう経験を経てきたのだ。統一教会の騒ぎは、それを10倍も劣化させたものと言うことができるのではないか。こんなことをざわざ繰り返したところで人類にはなんの利益も学びもない。(余計なお世話だが某世界的宗教もなるべく早く宗教改革を行ったほうがよい)
(補:むろん在来の宗教にも多かれ少なかれ矛盾はある。しかし統一教会の場合はあまりにも矛盾のレベルが低い。教団は知性か良心、あるいはその両方が欠如しているのではないかと疑わざるを得ないレベルだ)
(補:宗教は理屈ではない、信じるものだ、という人があるかもしれない。しかしそういう人は信じればこそ疑えるものだということを分かっていない。子供が明らかに嘘をついているとき、それでも子供の言葉を信じるのは愚かな親だ。なにが事情があるに違いないと注意ぶかく見守るのが賢い親だ。教団・教義に対する信者の振る舞いもこれと同じであろう。矛盾するうち一方が間違っているのかもしれないし、相克をアウフヘーベンすべきなのかもしれない。しかし統一教会にはその手の葛藤とそれに対する知性の働きが感じられない。まったく感じられない。異様なほどに)
統一教会は邪教ですらない。洗脳詐欺集団だ。日本社会から排除すべきである。と同時に、現信者には、さっさと目を覚ましてくださいと衷心より申し上げる。その経験、その失敗はあなたになんの成長ももたらさない。僕はそれをあなたのためにとても悔しく思う。
たとえ邪教だろうと真摯に信仰することで何らか学ぶことはあるかもしれない。老境にさしかかって自分の信仰は(一部または全面的に)間違いだったと気づくというのは悲劇かもしれないが一つの人生ではあると思う。こういう自由は人間の成長に必要なものでさえあると思う(オウムの死刑囚にも何らかの気づきや成長があったと僕は思っている)。このことは思想信条に置き換えてもいいだろう。
内心の自由、信仰の自由はとても大切なものだ。それは間違いない。しかし、そもそも論として、統一教会は「信仰」なのか。僕は信仰と呼べる代物ではないと確信している。オレオレ詐欺に近い。まさかオレオレ詐欺を「立派な商行為だ、被害者は納得して支払ったのだから」、などと云って擁護する人はいないだろう。虚偽を前提とした信念(認識)を植え付けて大金を振り込ませているのだから。
統一教会の信仰も「虚偽」である。それは簡単に分かる。まず反共を掲げて熱心に活動してきた団体が他方で労働党一党支配の北朝鮮と繋がっている。宗教活動にはカネが必要だと称して高額献金を正当化してきた団体が、なんと政府に100億円の拠出金を提案できるほど溜め込んでいる。日本はかつて朝鮮半島を植民地支配していたので重い原罪がありその償いのために献金しなければならないと教える団体が、植民地支配は強制で始まったものではなくしかも半島の発展に大いに寄与したと主張する人々が熱心に支持する安倍晋三と濃い繋がりを持っていた。監督省庁である文科省の質問に対してまともに答えなかった教団が、解散命令はおかしいと強気の会見をひらいた数日後、深く反省していると称して100億の拠出を提案してくる。
言ってることとやってることがメチャクチャである。教団は自分たちの主張を信じていないことがわかる。信じていればこれらの言行不一致に対して深い葛藤に陥るはずだがそんな様子は露もない。そもそも成立していない教義にもとづき人様に虚構の信念を植え付けて高額の献金を集めるのは信仰ではない。オレオレ詐欺の類である。
かつてカトリックは免罪符と称する高価なお札を買えば地獄行きを免れると言って信者に多額の寄付をさせていた。真摯な宗教者たちからそれはおかしいという指摘が入り、論争が起こり、プロテスタントが始まり、キリスト教正常化の契機となった。人類はすでにそういう経験を経てきたのだ。統一教会の騒ぎは、それを10倍も劣化させたものと言うことができるのではないか。こんなことをざわざ繰り返したところで人類にはなんの利益も学びもない。(余計なお世話だが某世界的宗教もなるべく早く宗教改革を行ったほうがよい)
(補:むろん在来の宗教にも多かれ少なかれ矛盾はある。しかし統一教会の場合はあまりにも矛盾のレベルが低い。教団は知性か良心、あるいはその両方が欠如しているのではないかと疑わざるを得ないレベルだ)
(補:宗教は理屈ではない、信じるものだ、という人があるかもしれない。しかしそういう人は信じればこそ疑えるものだということを分かっていない。子供が明らかに嘘をついているとき、それでも子供の言葉を信じるのは愚かな親だ。なにが事情があるに違いないと注意ぶかく見守るのが賢い親だ。教団・教義に対する信者の振る舞いもこれと同じであろう。矛盾するうち一方が間違っているのかもしれないし、相克をアウフヘーベンすべきなのかもしれない。しかし統一教会にはその手の葛藤とそれに対する知性の働きが感じられない。まったく感じられない。異様なほどに)
統一教会は邪教ですらない。洗脳詐欺集団だ。日本社会から排除すべきである。と同時に、現信者には、さっさと目を覚ましてくださいと衷心より申し上げる。その経験、その失敗はあなたになんの成長ももたらさない。僕はそれをあなたのためにとても悔しく思う。